なんとなく空気がじっとりしてきました。「梅雨入り」間近ですね。庭の水遣りからは解放されるけど、カビやらナメクジやらジトジト、ベタベタ。あ〜あ、想像しただけで気が滅入る。こんな時期は窓掃除がいいらしいです。湿気があって汚れが取れやすいのだとか。さあ、みなさん、雑巾持ってお掃除タイムですよ〜。
5月中旬徳島新聞の1面に連載されていた「最期まで自分らしく」をご存知でしたか。第3部は「在宅という選択」というテーマで取材されていました。自分の最期の時をどこで迎えるか、家で亡くなるとはどういう事か。とことん頑張って治療する、という方向ではなく最新治療が受けられない事を受け入れて自宅で穏やかに最期を迎える、そういう選択をした人が取材されていました。
偶然、日本医師会の5月の印刷物でも「穏やかな終末」というテーマで特集が組まれていました。中身は尊厳死協会の「リビングウィル」の勧めでした。リビングウィルというのは元気な時に自分の終末期医療の希望を書いておくこと。人工呼吸器を着ける着けない、胃ろうを作る作らない、そんな事を本人の意識がない時に家族が判断するのは大変です。「ああすればもっとよかっただろうか?」「おじいちゃん、苦しかっただろうか?」など残った家族が長く悩みます。
本人が希望を家族に伝えておけば判断する家族は楽です。重い病気になった時はもちろんですが、誰でも突然意識を失うような状態になることはあります。だから誰でもが考えるべき事かもしれません。
アメリカでは25〜40%の人がリビングウィルを持っていると書かれていました。日本では0.1%程度だとか。「死」を話題にすることがためらわれる雰囲気があるから日本では普及しづらいのかなあ。でも、「最期まで自分らしく」あるためには自分らしく生きる努力も要ります。50歳60歳、区切りと感じる年齢は人それぞれと思いますが、どこかで洋服や本、趣味の物などもう必要ないと感じたものを処分する。同じように、あと1年しか生きられませんと宣告されたとイメージして、どう治療してほしいか、何が心残りか、誰と何をしたいか、など考えてみる。で、忘れずそれを紙に書く。じゃないといざとなった時には伝える手段がないかもしれませんから。ちゃんと最期の迎え方を準備したら毎日がもっと充実して自分らしく生きられるように思います。(余計なお世話?確かにそうとも言えます。)
取り敢えず、日々健康あることを願って歩きましょう、歩きましょう。